細川一彦

近代西欧に生まれた「人権」の思想は、非西洋世界にも伝播しました。文明や宗教等の違いがあるにもかかわらず、一見「普遍的」な思想として広がっています。ここにおいて、人権の概念の基礎にあるのは、キリスト教の思想です。キリスト教では、人間は神(God)が神に似せて創造したものであり、神の下では平等と考えられたからです。それゆえ、人権は、神から与えられた人間の権利であり、それゆえに平等だということになります。戦後世界に広まった「世界人権宣言」も「国連憲章」も、この思想をもとにしています。そこにはキリスト教を基礎とする文明で発生した啓蒙思想が色濃く反映しています。キリスト教を抜きにしては、「人権」の思想は成り立ちません。 しかし、キリスト教を真理として認めている民族は、非西洋世界では、実際には少ないのです。キリスト教以外の宗教や哲学・世界観を持つ国民・民族には、「人権」の究極的な根拠は、理解し得ない要素があります。実際、「世界人権宣言」も「国連憲章」を読んでも、そこにおける「人間」とは何か、「権利」の根拠は何かは書かれていません。それゆえ「普遍性」といっても、擬制の「普遍性」に過ぎません。現在、キリスト教的な西洋文明が、世界的に優位に立っており、その裏づけとなる有力国家が力において世界を圧倒しているので、この特殊な思想が、ある程度の普遍性をもっているに過ぎません。戦後世界においては、勝者となった連合国の多くがキリスト教であり、日本に対しては占領者アメリカがキリスト教国だったのです。勝者の語る人間観が、力によって支配的になったのです。「人権」という概念の世界化自体が、キリスト教的西洋文明諸国の「力」の優位の現れです。